2009年12月22日火曜日

最終話に関して

ん~、あまりの皆さんの-JIN-最終話に対する思いの
強さにびっくりしてます。

私のこのブログは、創作物が好きで、
ちょろっとフリーゲームなぞ作っている自分が、
勉強のために観た作品に対する思いや感想、分析を
書いてたりしています。

そんな海のものとも山のものともつかないブログですから、
正直普段の読者の方は少ないのです(笑)
それが、昨日一昨日と普段の3-4倍の方々が、
-JIN-の最終話に関して、
このブログにたどりついておられるようで、
あらためて、この問題の大きさを感じています。

私はどちらかというと”創る側”に興味があるので、
ドラマ分析や映画分析は、前にも書きましたように、
あくまで勉強のため、と思ってやってますから、
ことさらに-JIN-に関してのみ書くのもアレなんですが、
確かに前回のエントリでは私が書いてない部分もあるので、
そこだけ補足しようかな、と。

そこで、ネットで言われている

”最終話で怒っている人がいることが信じられない”

という意見に対する返答、という形式にします。

特に最近は

”人それぞれってことで、はい終了”

という流れがあって、何がいいのか、何が悪いのか、
という規範が失われてるような気がしますし。

では、いつもどおり、ここで”ネタバレ警告”です。

それから、

”最終話、私はよかったと思ってる!”

という方も、ここから先読まないほうがよろしいかと。



私は、”怒ってる人たち”のうちの一人です。

何に怒っているのか、それは

”局が視聴者を侮辱してること”

に対してです。

”映画化など金儲けに走ったことか?”

と問われると、それは違います。

他の方はわかりませんが、
私が-JIN-が面白いと感じたのは特に前半です。
まだ、包帯男の謎は全然重要でなかった時期です。
徹底してあつくるしく人の心を大仰に表現してた時期ですね。
そのころのエントリはこちら。

そして、ごらんの通り最終二話はこんなことに。

具体的にどう侮辱しているか、といえば、
まずシナリオにそれが散見されます。
以前も指摘しましたが、

坂本龍馬にキーワードを何度も言わせていますね。

”先生、来るぜよ、こっちの世界へ!”(花魁の座敷)

”戻るぜよ、先生!”(斬り合いの場面)

そして勝海舟は、

”それとも神隠しにでもあったのか・・・”

さらにしつこく仁には

”龍馬さんはタイムスリップしたのではないだろうか”

と言わせてます。

そして、あげくの果てに

”龍馬さんならやりそうだよなぁ・・・”



やりません。



私はやらないと思います。
このセリフ絶対後から付け足したでしょ?

”もの珍しい”

という理由で薬をかき集めた、ってなにそれ(笑)

”そうかあの男は・・・”

と仁が包帯男は自分だったと気づく、
これが本来の流れだったはずだし、
物語として筋が通ってます。
また、原作にも矛盾しません。

そして龍馬が目を開けるシーンがあります。
間違いなく、病院のベッドを視聴者に想起させるためです。
で、実際は漁師の家でした。

で、これら一連のくだりは、誰に対して書かれたものか、
視聴者を挑発するためですよね?

”川に落ちたけど龍馬は生きてた”

ことが物語中のどういう位置を占めてるのか、
さっぱりわかりません。
あの漁師の家は”未来(みらい)”の家だった、
という意見もあるようですが、
服装とか見ても、どうも私にはそうは感じられません。

この一連の

”龍馬はタイムスリップしなかった”

これが現時点での謎解きだったのです。
”脚本”ではなく”局”の出した視聴者への答えだったのですよ。
わざわざ、そのためにこんなエピソードを組み込んだのです。
このエピソードだけ浮いてしまってることが分かると思います。

咲と仁の

”これでよかったんですよね”(※)

のシーンや野風の旅立ちのシーンでの
”あっかんべぇ”(※)や

”もう雪にはなりたくない”

のシーン、これらは脚本家の人がやりたかったところです。
考えた末に、こういうセリフにしてるのです。

最終話で怒っている人の中には、
まさに、こうした脚本を捻じ曲げた”局の意向”が、
見えてしまった人が含まれてるのではないでしょうか?

脚本は元来思いつきの所産ではありません。
登場人物の感情の動き、
言葉のあや、意味の二重化、
伏線設置と回収、あらゆるテクニックを使った、
ある意味、難解なパズルのようなものです。
一箇所ピースを変えてしまうと、
そこから綻びが大きくなって、崩れてしまうこともあるでしょう。
その場面では、その台詞でよいのか、
次に、物語全体から見たら、その台詞でよいのか、
そうやって作り上げられてるはずです。
急に思いつきで流れを変えたら醜くなるのは当然です。
ましてやそれを最終話でやったら・・・

”最終話の脚本が悪い”

という方がいますが、あくまで悪いのは”脚本”です。
脚本家ではありません。
最終二話の担当の方は、実は最初の二話の担当の方なのです。
おそらく最初の二話に最終話の伏線をかなり設置されてたと想像します。



あと若干言い足りないですが、最後にこれだけ。

”人のため、道のため”

創り手の良心は作品に表れると私は思います。

”人のため、道のため、明るい未来を築いてください”

この劇中の言葉は、
あの時期のスタッフの製作姿勢と矛盾してなかったと思います。
だからみんな、緒方洪庵と仁の場面に感動できたのです。

創り手にだって、いや、誰にだって

”人のため、道のため”

の心はあるのです。(たぶん!)

最終話でこの言葉が書かれた額をかけてる最中に、
仁は落ちて

”えっ?”

となりますが、まさに脚本家の方の強烈な皮肉だったかもしれませんね。
あのシーンがそのまま通ったのは、上が皮肉だったと気づかなかったから・・・
かもしれません。

あるいは

”もう私は脚本家として、洪庵先生のこの言葉に価しません、失格です”

”視聴者の皆さん、ごめんなさい!”

というシーンだったのかも。

私はそう勘ぐってます。




”人のため、道のため”

-JIN-という良作を後世に残すチャンスが失われたことに
怒りを覚えるのです。



ここまで、私が書いたことは私の考えで、意見です。

”証拠がないだろ”

と言われれば、”ありません”としか言いようがありません。
ただ、私は最終話を観て、”感じた”ことを書いてみました。


すての

※”これでよかったんですよね””はい”のやりとりは、
咲の心中を確認している言葉にもなっているのです。
結納をひっくり返して、飛び出してきた咲に対する
”これでよかったんですよね?”
という問いかけとだぶってるわけで、
そこに二人の心の重なりが見て取れる、わけですね。

※これも野風総集編、という感じで、
このあっかんべぇは言うまでもなく、
仁が”貧血”だと指摘したときの、アレです。
出会ったときのあっかんべぇ、
別れるときのあっかんべぇ。
”(”で書き始めたら”)”で閉じるのです。
そういうものなんです。
だから、そうしなかった
今回の最終話は”醜い”のです。

2009年12月20日日曜日

-JIN- 最終話

では、のっけからネタバレしますので、
まだ見てない方は、お引取りを(笑)



んと、ここで私が今まで、

”こうなんじゃないか、ああなんじゃないか”

と予想してたことを、総括するつもりだったのですが、

こんな結果

だったので、もう何もしようがありません(笑)

私自身はドラマは作品だと思うので、
ドラマ内で決着はつけるべきだと思ってます。
以前も書きましたが、
ガリレオと容疑者X(※)のような構成なら、
映画化でも腹はたたないのです。

こんな終わり方じゃ、ドラマとしては未完成、
としか私には言えません。
8話、ないし9話までが-JIN-だったと思うことにします(笑)

実際、緒方洪庵が生きてた頃は、
包帯男の謎よりも、ドラマそのものが面白かったのですよ。
でも、9話あたりから包帯男の謎がクローズアップされてきて、
何度も脚本から視聴者はおちょくられてます。
今日の最終話の坂本龍馬もそうですね。

仁にモノローグで

”龍馬さんはタイムスリップしたのではないだろうか”

などとわざわざ言わせといて、まったくそんなことはなかった。
じゃあ、このくだりは物語上なんのために?
といったら、視聴者おちょくるために書いたとしか思えないが(笑)

でもって、このラスト

そういうことが見え見えなだけに、
ああ、やっぱりおちょくられてたのか、と。

しかし、野風が塾を開いて、
未来が先生になってるって・・・
あれ、最初看護婦の卵に講義してるのかと思いましたよ・・・
それで、仁と出会うことがなくなったから、写真が消えたって?

まあ、映画の脚本はこれからでしょうから、
10円玉の謎や未来と仁の再会はこれから決めるんでしょうけど。

賛否両論あるとは思いますが、私は怒ってます。
視聴率がよかったのはどうしてなのか、
ってことよりも、視聴率がよければその理由はどうでもいい、
ってことなんですね。

また水戸黄門が同局の最高視聴率って時代に戻りますよ?

すての

※容疑者Xはガリレオでさえなかった。
湯川も内海もいたのだが、ガリレオではなかった。
でも、なかなかに面白い話だった。
(ただ、天才を表現できてたかどうかは微妙)

2009年12月17日木曜日

開発コード:double-H PART32

久方ぶりの報告です。

現在3番目のミッションが終了するところです。
ゲーム全体でのミッションは実は決まってないのですが、
大雑把に20-30ぐらいではないかと見積もってます。
なので、3番目ということは、それぐらいの進捗、
と考えてください。

ミッション=メインのシナリオになりますが、
それ以外に、タスクをいくつか用意しようと思っています。
メインから外れた番外編で、

”それをプレイしなくてもゲームクリアには関係ない”

という性質のものです。

どうして、そういうものを用意するかといえば、
私自身、今までいろんなゲームをやってきましたが、
例えばすごいスキルを覚えた、すごい仲間を手に入れた、
こういうのは決まって終盤なんです。(当然ですが)

”もう使う場所が既に限られてる”

わけですよ。

いつも、これが不満でした。
なんというか、プレイヤーが

”もうお腹いっぱい”

って言うまであそばせてくれるような

”挑戦する場所”

が欲しかったのです。

タクティクスオウガの”死者の迷宮”はそれにちょっと近いですが、
この場所そのものがアイテムの宝庫になっており、
これらのアイテムを使って戦う場所ではありません。

うまく言えないですが、
今回の私のゲームではそういった挑戦の場所を
”外伝”のような扱いにするつもりです。

で、今日はもうひとつ話題を。

皆さんはどうかわかりませんが、
私はゲームクリエイターに限らず、
モノ作ってる人の現場とか環境に興味あります。
Twitter始めたのも、開発者含めた、
そういう現場への興味があったからです。
例えば新海誠監督が(たぶん)自宅のデスクの写真を、
アップしてくれてますが、メインのマシンにでかいモニタとか、

”おお!一台集中主義なのかー”

なんてわくわくしたりします(笑)

なので、今日は私のハードウェア周りを書こうと思います。

・メインマシン

Pentium4 3GHz
Memory 2Gbyte
HDD 80Gbyte+80Gbyte(Raid0)
GeForce 6800GT
WindowsXP SP3

ゲームの開発に直接関わることは、
すべてこのマシンでやってます。
グラボが古いですが、あまり困ってません。
メモリは当時は2Gでよいと思ってましたが、
今は4Gは欲しいなぁ、とちょっと考えてます。
Raid0になってるのは、
もともとこのマシンがネットゲーム用だったからです。
Zoningのスピードをあげたかったのです。
PCプラットフォームのゲームも
ここにインストールされます。
今はほとんどUninstallしちゃいましたが。
主にウディタを開くのももちろんこのマシンです。

・サブマシン

Athron64 2GHz
Memory 1Gbyte
HDD 185Gbyte+外付け1TbyteHDD
GeForce 6600GT
WindowsXP SP3

陰の主役です。
あるときはファイルサーバ、
あるときは動画のエンコード、コンバート、
またあるときはジュークボックス、
ということでメインマシンに負担をかける雑事は、
みんなこれがこなしてくれます。
別モニタなので開発中のピクチャ確認などにも使ってます。
ただ、マウスとキーボードは共用で、
手元で切り替えができるようになってます。

DropBoxによる

”なんちゃってミラーリング”

もこいつとの間で組んでます。

・コミュニケーション用

VAIO-R505R/GK
Pentium3 850Mhz
Memory 384Mbyte
HDD 28Gbyte
Windows2000

メール、Twitter、Webなど、
コミュニケーション関連はこちらでこなします。
ブログの更新もこれですね。
あと、スプレッドーシートで作ったゲームの資料なども、
こちらで開いてます。
さすがに最近多少息切れを感じてますが、
まだまだ、現役ですよ(笑)

・サーバ!?

もう一台VAIOがあって、
これは外部にポートを開くものなんですが、
例えばTeamSpeakやShoutCast、httpなどですね。
ほとんど動かしてませんので、割愛。
真面目に利用方法を模索中。

という4台体制でやってます。

私としてはサブマシンの存在が非常に重宝してます。
この編成はメインマシンがいくら強くなっても、
ずっと変えないと思いますね。

この4台をルータでまとめてます。
ノートのみ無線です。

次回はソフトに関してもちょっと。

すての

2009年12月15日火曜日

エノク語

いやいや、知りませんでした。

こちらの記事。

”エノク”という言葉は、私は”エノク書”か、
”エノクの悪魔”という言葉でしか聞いたことがなく、
エノク語という言語があったことは初めて知りました。

こちらの記事の翻訳過程の話は非常に面白いですね。

”BAYONETTAはイギリス訛でないとダメ”

というこだわりとか(笑)

ずっとイギリスにいたベヨがアメリカに20年暮らしたら、
どんな喋り方になるのか、とかそんなん分からんよ(笑)
もし、それが喋り方に反映されてるとしたら、拍手しちゃうけど。

エノク語への翻訳もまず中間英語(?)を作って、
それをエノク語にもっていくという過程が面白かった。
さらに、そこを基点にして日本語に戻すとか・・・
どんだけオタクというかコダワリ作業なんだよ(笑)

実際のところ、ベヨはアクションゲームとして評価されているのであって、

”ムービー長すぎ、冗長”

とまで言われている。

こうしたオタク的なゲーム内言語へのこだわりは、
もしかしたら、商業作品としては

”逆方向”

だったかもしれない。

言われないと、気づかない部分だし、
だいたいムービースキップまでできてしまうわけで。

これによって実際に工数あがってるのだったら、

”ただの無駄”

とか言われそうだ。

でも、一方で監督の

”こうでないとダメ、こうであるべき”

って思いも大事だ。

”そんなん不要”

とか

”それはこう変えたほうがいいですよ”

みたいな声にフラフラするようなら、間違いなく背骨が失われる。
予算が許すなら、貫徹するべきなんだと思う。
で、貫徹して駄作になったら、それはもう仕方がない。



うまく言えないけど、
やっぱり世界を作るのは、いろんな意味で

”全力投球”

が必要だよなぁ。

”ゲーム”でなく”世界”ね(笑)

実は私も今製作中のゲームで、
ちょっと英語の言い回し関連で考えてたことあったので、
今回のベヨブログの記事は、楽しかったですよ。
こういうことにこだわる人もいるんだなぁ、と(笑)

すての

2009年12月13日日曜日

-JIN- 10話

-JIN-関連でこのブログ読んでくださった方々。

すみませんでしたっ!

私、ほんとに今日が最終回と思い込んでましたっ(笑)
来週もう一回あるんですね。
ということで、以前書いた、この文。

”もう来週最終回なのにこんなことしてていいの?”

これはまったくの言いがかりでした。
申し訳ありません。

9話の新門辰五郎のエピソードは位置付けとしては、

”シリーズ真中のエピソード”

となるわけで、そうなるとなんの問題もないと思います。

さて、それでは10話について、
忘れないうちに書いておこうと思います。
まだ録画を見てない方もいらっしゃると思います。

”ネタバレします”

のでここからはご注意ください。



10話でびっくりだったのは、

”あれ(包帯男)は俺だった”

と冒頭のモノローグでいきなり説明しちゃった点です。
包帯のむこうの眼も”大沢たかお”の眼だと思うんですよねぇ。
説明されちゃったってことは、

”これもまたまたミスリーディング”

と勘ぐらないわけにいきません。
本当の答えをこうも丁寧に説明されちゃうのもおかしいし(笑)

”だとすれば俺は俺自身を手術したことになる”

そうそう、私もそう考えてました。

”でも、戻るぜよ、あの声は龍馬さんのものだった”

そうそう、そうなんだよね、声が謎。
まさに、私が考えてる通りのことを、
いきなり冒頭で説明されてしまいました。
もう、こうなってくると

”あなた、こう考えてるでしょ?ふふんっ♪”

もう、なんというか脚本の人の

”ふふんっ♪”

が聞こえてきそうで、腹立たしいですね(笑)
そして、その

”ふふんっ♪”

の証拠として、ドラマの最後。
川から水面に上ってきたのは、
なんと龍馬ではなく、仁の方!
私はすっかり騙されたってこと?(※)

いやいや、来週が90分になることから考えても、
何か合わせ技があるような気がします。
いわゆるヒネリというか。
怪我したのは、仁だと思うのです。
でも、声が龍馬だった謎が、何かあるのではないでしょうか。

私は仁が龍馬をかばって、額を切られるのでは、
と考えてました。
なぜかというと、仁がタイムスリップした直後に、
仁を庇った恭太郎が額を切られてるからです。
本来そこで切られるはずが、時間がずれて、
今度はちゃんと仁が切られると。
そんな展開を考えてましたが・・・

さて、本日の感想を個別に。

お弁当に入ってた、揚げだし豆腐。
ほんとはあの場面で、回想とか台詞は欲しくなかったなぁ。
その後は大沢たかおの表情だけで、いってほしかった。
ただ、連続ドラマは初見さんを無視できないだろうから、
仕方ないんでしょうけどねぇ。
せっかく時間かけて、揚げだし豆腐を咲の気持ちの
小道具として育ててきたのにね。
言葉や、回想いれちゃうと、
その積み上げてきたものが、
無駄というか台無しのような気がします。



恭太郎が仁の背中を見て、咲にかける言葉。

”おまえが夢中になってたのは本当に医術だったのか?”

これはいいんだけど・・・

”仁先生ではなかったのか?”

ああっ、これ余計な気がするっ!(笑)



”あちきの計画がパーに・・・”

まあ、この説明も余計とは思ったんだけど、
野風のところに咲が来るっていうのも、どうなの?
とは感じました。ましてや、

”同じ人を想う者”

とか女性同士が納得するのかなぁ。
それに野風は自分で女郎っていってるけど、
花魁だからなぁ。仁を落とせなかったのは、大失態だと、
自己嫌悪に陥ってそう。



最後の斬り合いの場面。
龍馬が頻りに

”戻るぜよ!”

連呼してましたねー。
前回の

”こっちの世界に来るぜよ”

もそうだけど、脚本の人、
今回かなり視聴者をくすぐってますよねぇ。
なんか、これがただのくすぐりで、
特になんも意味なかったとしたら、怒るよ?(笑)

正直なところ、今までの私の考えを、
10話で見透かされたことがわかったので、

”フリダシに戻る”

になってしまいました。

さて、困った(笑)

すての

※川に二人が落ちた場面は、
なつかしい仁が初めて龍馬と出会った、
一話のあの場面につながってますね。
うんうん、やっぱり脚本の人よく考えてるわ。

”もしかしたら、ここから落ちたら戻れる?”

”おまえは何しとるがじゃきー”

とか叫んで龍馬が止めにはいった場面ですね。
そこが今回のマエフリになってます。

2009年12月11日金曜日

映画:Somewhere in Time

邦題は”ある日どこかで”。
”SIT”と略される場合もあるようです。
主演は、あのスーパーマンのクリストファー・リーヴです。

動画サイトで発見したので、字幕がありません(笑)
おそらく台詞の妙味までは理解できてない、と思います。

では、またまたネタバレ警報で。



観るきっかけになったのは、
昨日のエントリに書いたように、

”この映画が-JIN-の平成22年の硬貨の元ネタではないか?”

という首藤さんの指摘です。

では、まず簡単にあらすじを書きます。

主人公は脚本家のRichard Collier。
クリストファー・リーヴが演じてます。
彼は1972年、学生の頃に書いた脚本、

”Too Much Spring”

の成功を祝うパーティー会場にいる。
そこで見知らぬ老女が彼に歩み寄り、
懐中時計を手渡す。

”Come back to me”

彼女はそれだけ言うと、会場を去っていく。
8年後、彼は売れっ子脚本家になっているが、
原稿を急きたてられる生活に嫌気がさして、
ドライブに出かける。

そして、何気なく選んだ

”Grand Hotel”

の”Hall of History”で、ある女性のモノクロ写真と出会う。
その写真があまりに魅力的だったため、
彼は彼女の素性を憑かれたように調べ始める。

彼女の名はElise McKenna。
そのGrandHotelでの舞台女優だった。
その写真は1912年に撮られた写真で、
彼女自身は1972年に死んでいた。

彼はEliseの使っていた家(※)に行き、
当時の使用人から、
彼女は時間跳躍に関する本を読んでいたことを知らされる。
その本の著者である大学時代の哲学の先生の元へ行き、
時間跳躍に関する話を聴くと、
彼はそれを実行する。

こんな話です。

では、ここから本格的に物語の核心について、
ガリガリ書いてしまいます。

ちゃんと自分で観たい、と思う方はここでストップ。



典型的な時間跳躍モノなのですが、
どうにも腑に落ちない部分があります。

時間跳躍するためには、
自分の身につけるものはすべて過去のものでなくてはならない、
という約束がこの物語内にあります。
リチャードは襟の小さな昔の背広や、
わざわざ古銭を扱ってる店に行って、
昔の硬貨を入手してます。

そして、しつこく部屋で念じることで時間跳躍に成功します。
で、ここが物語の肝であり、
-JIN-でも、まさかこうなるのでは、という問題の場面ですが、
彼女と結ばれで幸福なリチャードのポケットの中に、
1979年の硬貨が混ざっていたのです。
そして、それに気づいた瞬間、現代に戻されてしまうのです。

もしかしたら、ほんとは劇中で説明されてるのかもしれませんが、
そもそもポケットに現代の硬貨が入ってたら、
時間跳躍できないんじゃないの?と。

これ、一種の自己催眠なんですかね。
hypnotizedという言葉が使われてた気もするのですが。
で、硬貨がキッカケで催眠術が解けてしまう、ってことかな。
だったら、それって”催眠術”であって、時間跳躍してないような(笑)

リチャードは過去のエリスに

”これは君自身が僕にくれたんだ”

と例の懐中時計を渡しています。
その懐中時計をエリスはずっと大事にして、
自分が死ぬ直前にまだ若いリチャードにそれを渡したわけです。
でも、それを受け取ったリチャードは後に過去に行って、
彼女にそれを渡す、というループになってしまってます。

で、良かった点なんですが。

私は実はあまり海の向こうの女優さんで

”キレイな人だ”

と感じることは少ないのです。
好きな女優さんはいますよ、
でも、それはキレイだからって理由ではないのです。

Elise McKenna役のJane Seymour,
すごくキレイな人ですね。
特にリチャードが最初に見るモノクロ写真。
これだけでも観る価値あるかも(笑)

監督さんもこのシーンに相当かけてたらしく、
主演のクリストファー・リーヴにさえも
写真は撮影の日まで隠してたそうです。
なので、映画の中の彼の表情は本当に初対面の表情だったのです。
また、彼女の写真は
部屋のどこにいてもこちらを見ているかのように、
撮影の工夫がされてたそうです。

で、クリストファー・リーヴの真面目な演技が光ってました。
余計にせつなさを誘いますね。

また、この映画は興行的に期待できない、
という理由で資金的に苦しい状態だったそうです。
なので、結果的に

”どうしても撮りたい”

という有志が残って撮りきったんですね。
半ば自主制作みたいな。
実際興行はダメダメだったんですが、
根強いファンが増えてきて、まるで”時かけ”状態。(※)

実際私が観た動画にも

”by request”

と書いてありました。

で、最後に-JIN-とのカブリについてですが、
物語の上ではまったくかぶってないように思います。
ただ、言葉をちゃんと理解してない部分が多いので、
脚本レベルでは何かあったかもしれませんが。

で、硬貨についてですが、
すでに説明したように、
この映画の硬貨には意味があるのです。
わざわざ古銭の店にいって、古銭を買ってるシーンもあるのです。
また、わざとジャラジャラさせて、硬貨の存在を観客に伝えてます。

一方-JIN-では、何気なくポケットに入ってました。
しかも、年代が仁から見ても未来。
う~ん、たぶん最終回での、この硬貨の謎の回収方法を見れば、
この”Somewhere in Time”を下敷きにしたかどうかはわかるでしょう。
浮いてたり、伏線が足りなかったりするなら、
パクリなのかもしれません。

今回本当のラストについては書いてません。
興味のある方はこの映画、探してみてください。

すての

※ここは言葉が理解できてないので、
たぶん、彼女の使ってた家だろう、っていう推測です。
すみません。

※時かけエンディングを歌った奥華子さんに関してのエントリ。
これこれこれもかな。

2009年12月10日木曜日

脚本家からみた・・・

-JIN-ってことで、
いつも私が読んでいる首藤さんのコラムで
-JIN-について触れられていたので。

この記事の下の方にあります。

”-JIN-の登場人物は皆、真剣だ。おちゃらけてない”

という指摘は、我が意を得たり、
ではないですが、まったく私も同感です。

さて、首藤さんはかなり-JIN-の脚本を高く評価してるようなのですが、
その中にちょっと気になった一文がありました。
これは、きっとネタバレになると思うので、



またまたネタバレ警報です。



それから”ある日どこかで”という映画のネタバレにもなってます。
ご注意ください。



それでは。

ドラマでも結構無視されつづけられていた、
平成22年の10円玉です。
知らない間に仁のポケットにはいってたものですが、

首藤さん、いわく

”これって”ある日どこかで”だね”

と指摘されてます。

私も、この映画は知りませんでした。

調べてみると、ちょっと

”う~ん”

という内容。wikiからあらすじの引用です。

1972年ミルフィールド大学で脚本家志望のリチャード・コリアーの処女作上演後のパーティー会場に、成功を喜ぶ彼を会場の隅から見ている上品な老女がい た。彼女はリチャードに歩み寄り、「(私の所へ)帰ってきて(Come back to me)」と言う不思議な言葉と、1つの懐中時計を手渡し、去っていった。

これが元になってるのかなぁ。

ただ、タイムパラドックスものだと、

”戻る”とか”帰る”

なんて言葉は普通だから、
これだけじゃなんともいえないけど、
問題は硬貨の方。

”ある日どこかで”の場合、
主人公はタイムリープするために、
すべて過去のものを身に付けることで、
それが可能になる、という設定になっていました。
主人公は彼女に会えたのですが、
最後にポケットに入っていた現代の硬貨が、
”破れ目”のように働いてしまって、
現代に戻されてしまう、というストーリーのようです。

一方-JIN-では平成二十二年の10円玉は、
マエフリだけされて、あれからほとんど物語では触れられないままですが、
まさか、上のような使われ方になるの?
っていう危惧を首藤さんは持っておられるようですね。

いやいや、私も全然知りませんでした。
タイムリープものでポケットの中の硬貨ってなると、
おそらく、この映画が下敷きになってるのでしょうね。

これでまた

”いろんな意味で”

日曜日が待ち遠しくなったかな(笑)

すての

追記:
ある動画サイトで奇跡的に件の映画を発見できました。
検証したら、また報告します。